メールなんて、最低な手段。
日々、お客様との会話から、学ぶことが多い。
とてもありがたいことです。
こちらが、コンサルティング報酬やサービスの対価をいただきながら、
仕事をさせていただいているのに、得るものの方が多いのではないか。
そう思ってしまうほど、この仕事は有意義で、
また、そのようなお客様に囲まれていると実感しています。
活字にしてしまえば、とても普通のことなのに、
相手の発するひとつひとつの言葉に、いや、言霊(コトダマ)に反応してしまう。
なぜなら、その言葉には、
その人自身の過去の体験や、教訓が詰まっているに違いないからだ。
先日、伺った言霊は、
「メールなんて、最低な手段だ。」
である。
電話やメールでは、ニュアンスが伝わらない。
だから、伝えようとしている言葉が、
相手に誤解を与えることも引き起こしかねない。
メールで送るべきことは、伝達したい事象のみ。
事務的な連絡ならよいが、
そこに、想いやメッセージを込めるから、おかしくなるのだ。
社員を叱ったり、特に、クレームがあった時は、
必ず、その相手のところに、会いに行くべきだ。
それを、簡単だから、便利だからといって、
電話をしたり、最悪な場合は、メールを1通書けばいいと思っている。
人は、目の前で非難や主張など、言いたいことを、言い続けることができない。
わざわざ、会いに来てくれたら、なおさらである。
逆に、電話であれば、相手の顔を見れないから、言いたい放題言える。
メールなんて、なおさら、である。
大抵、炎上するのは、メールとか電話なのだ。
誠意を持って、人に接するということはどういうことか。
それをきちんと考えている人は、あまりにも少ないのだ。
また、面と向かって、クレームを言い続けるのなら、
それはもう、お客様じゃなくて良いんだ。
そう思えるくらいまで、
人とは、Face to Faceで接することを忘れてはならない。
いわゆる、人とは「ガチンコ勝負」なのだ。
あまりの迫力だったので、
今、こうして、ここで文字にしているのも、
最低な手段なのかもしれない。。
ただ、その時、この言葉は、
ビンビンと自分に響いてきた。
それは、思い当たる節があるからか?
それとも、過去に同様の体験をしたことが、いきなりよみがえってきたからか?
誰にも平等に与えられているのは、時間である。
その貴重な時間をどのように使うのか。
それも、人それぞれである。
人と会うということは、その人の時間も費やしてもらうことになる。
言ってみれば、命(の一部)をいただくということでもある。
「いただきます」と両手を合わせて、
食べ物をいただくことと同じで、
人と会う時は、
「いただきます」と心の中で唱えるくらい、その瞬間を大事にすべきなのだ。
だからこそ、今まで以上に、
「人と会う」ということを、もっと貴重な時間と捉えていきたい。
P.S 会った時は、私は全身で、「あなたモード」にて接します。