Good Bye 2017.

代表ブログ

2017年の大晦日。
今年は珍しく、どんよりとグレーな雲が広がっていて、130年ぶりの大晦日の初雪となりそうである。

毎年恒例の行事、大晦日の朝はカフェに籠って、1年の振り返りブログを書いています。
そして、例年通り、この大晦日ブログは長くなるのでご容赦ください。

私の誕生日は、12月27日です。つい先日、41歳になりました。

子供の頃から、クリスマスプレゼントと誕生日プレゼントはだいたい一緒にまとめられます。
「両方合わせてちょっと大きめのプレゼントね」と言われても、よくよく考えれば、別々にもらったほうがデカイ気はしていました。ただ、これは子供の時から慣れてきたので、お祝いしてもらうだけでとても嬉しいです。

年の瀬の滑り込みで生まれ、扶養控除の対象としてギリギリ間に合うという孝行息子であったと聞きました。その頃、税務署の職員をしていた父親は、年末調整で増えた還付金を手元に入れ、それはどこかに一瞬で消えていったようです。

出産予定日から大幅に遅れても母親の腹に居座っていたので、年越し出産になる前に帝王切開しようと話が決まった途端に、そろそろ出よか、ということでノソノソと生まれてきたようです。その頃から、マイペースでありました。

これまで大きな病気を患うこともなく健康体を維持できております。今年も、多くの方からメッセージをいただき、会社のみんなにも盛大に祝ってもらって、最高の誕生日でした。

さて、今年1年を振り返ってみると、ある問いを投げかけられる機会が、とても多かったです。

「野原さんは、何を成し遂げたいのですか?」

その答えが、よりくっきりと見えてきた1年でした。

今年、私自身にとって、本厄の年(数え年で42歳)でした。
今年がもうすぐ終わります。いつもと違い、なぜだが、とても清々しい気分です。

普段は何かを信じることなんてほとんどないのに、こうしたことは結構気にする性分なのです。
年初から、心の中で、今年1年間はむやみに暴れることはせず、特に大きなことを仕掛けることもなく、静かにしておこうという意識が強かった気がします。
「いろいろやってんじゃんか!」という声がそこかしこから聞こえてきそうですが、自分としては、目に見える範囲では、かなり停滞した1年だったのかもしれない。この1年は、とてつもなくへこむよりは良いと割り切っていたのかもしれません。

しかし、目に見えない領域では、今年1年という時間で、とてつもなく大きく良い変化がありました。

いきなりですが・・・

ボクは、今、不思議なパワーに包まれています。

「あー、でたよー、怪しいよ。」「マジで、怪しいよ。」「とうとう狂ったのかね。」

聞こえてきます、聞こえてきますよ。そんな周囲の声が。

自分でも、そう思わなくもないです。(笑)

でも、今年は、不思議なパワーをもらってしまったのです。
いや、正確には、自分の中にある不思議なパワーに気付いてしまったのです。

潜在的な能力がある。
それなのに、その能力の3分の1も使いきれていない。まあ、いいやって妥協している。心の中で楽をしようとしている。ある”神ってる” 存在の方から、「なにやってんだよ!」ってズバリ突かれました。
そんなことないと否定したくても、潜在意識としては、間違いないという答えしかありませんでした。

実は、これは、自分だけでない。みんな等しく、とてつもない能力を持っている。
ただ、それに気づいていないだけなのです。私も気付いていませんでした。
「いまできなくたって、何だってできるや」と思うような昔からちょっと自信過剰気味な自分なのに、いざ、自分の奥深くに向き合ってみると、しっかりと蓋が閉じられていたのです。

それを、今年の1年があったからこそ、ある意味、解放しつつあるのです。
まだまだのようですが、なんとなくそれを体感しつつあり、今日を迎えています。

それと同時に、自分には、もう残り時間がないことを痛感するようになりました。
いわゆる、「歳」というやつです。
いや、すみません。ちょっとカッコつけました。
「ボクは、リアルな “おっさん” になってしまった」ということです。

若い時は、自分の残り時間なんて、永遠にあると思っていました。
今の若い子たちもそうです。自分もそうでした。

息をしているだけなら、医学の恩恵を受けて、長く生きることが可能かもしれません。
でも、何かをこの世に成し遂げるには、もう残り時間が少ない。カウントダウンの鐘がどんどん大きく聞こえてきているのです。

新入社員の時から活躍しなければ後がないという世界で育ってきました。若手という概念は、自分の中では20代まででした。しかし、世に出ると、まだまだ若いんだからさ、と言われる機会がいまもまだ多い。しかし、自分は、もう若手ではないのです。

そろそろ、自分の能力を解放し、開放し、快方する時がきたと勝手に自覚しています。

今年も、様々な人と接する中で、ビジネスのヒント、もっと言えば、人生のヒントを数えきれないほど得ることができました。

今年も、今まで手掛けてきたことのない様々な仕事をして、いろんな経験をして、いろんな失敗にも直面してきましたが、それを細かく書いても面白くないので、今年の自分にとってのメモリアルな言葉を挙げていきたいと思います。

これらの言葉を聞いて感じること自体、遅すぎたのかもしれません。
でも、今より前に触れることができたとしても、ただの音声として右の耳から左の耳へ通過していってしまったはずです。

これらは、すべて、人と会い、人と語らうことで得ることができました。
自分がちっぽけに見えてしまうような凄い人と会うことができました。ある意味、人間を超越した域に達している「超越人間」です。
振り返れば、毎年、スゴイと思う人に出会い、ここまで成長できた気がします。
そして、年々とそのスゴさがアップしていて、来年はもっとスゴイ人達に遭遇することは確実です。

これらの出会いや、ナマの時間を体験し共有することができたことは、感謝の言葉しかありません。

「売上は、買うものである。」

これは、ここ7年くらいで、売上や利益を驚異的に伸ばし続けている経営者の言葉です。

いくらのお金を投じて、いくらの売上を上げるのか。

そこに徹底的に取り組まなければならないのに、それを実践できている会社はとてつもなく少ない。みんな、ビビってるんですよ。それと、金をかけなくても、売上は増えると思い込んでいる。そんなわけないでしょ。そんなにモテないって、普通の会社は。お客様に対して工夫しつづけないと。

だから、どんなにコストダウンが必要な時が来たとしても、「顧客に向けた投資(集客や商品の開発・改善、顧客に接する人材育成など)」を惜しんではならない。

私たちは、会社の会計データや財務状態について、間近で触れられる存在です。売上や利益なんて、資料を見ればすぐに分かる。しかし、そこは粉をかけていることも多いし、難解なルールを適用すればどうにでも見せやすいので、実態を見破らなければならない。しかし、何にお金を使っているのか、ということだけは事実として把握できるし、もっとそこに注目しなければならない。経営者の経営手腕とは、お金の使い方に現れる。年商1億円で利益100万円だったら、9900万円をどこに何の目的で使っていたのか。見るべきポイントはそこにある。

人と資金が重要な経営資源である。そこに、注目していくと、とんでもないことが見える。
売上は、お金をかけて買わなければならない。会社は規模を拡大しなければならない。そのために、どのようにお金を使うのかを徹底的に考えていく。

そんなことから、今年、スピリタスグループも数々の投資をしました。まだまだ全然思い切った額ではないにせよ、お金を使いました。この効果は来年以降に出るはずです。

「これは、無敵ですわ。」

今年、強烈な商売人に出会いました。
私は、これまで、マクロな世界に注目することはあまりなかった。でも、マクロな世界では、とてつもなく大きな潮流が起きている。視点が狭かったと痛感せざるを得ない。

そしてこの商売人は、なにか、醸し出すオーラが違う。
裏で緻密に考え、繊細な神経を持っているはずなのに、自信に満ち溢れている人をこれまでも数人見てきたが、間違いなくこれに当てはまる。

次々と仕掛けていき、次々と商品として形にしていく。この人は一体、いつ寝ているのだろうか、と思ってしまうが、肌は健康的に焼け、ゴルフに行く時間もあるようである。

「とんでもないものできますわ。」と言い、詳細な説明を受けた後に、「これ、無敵ですわ。」という言葉を発する。

本当に無敵なんか?と、潜在的な課題や想定されるリスク、特定のパターン下での対応方針など、質問を投げかけていくのですが、ニヤリという表情を浮かべてことごとく返答されていく。こういうやり方の商売ってあるんだな、と多くを学ぶことができました。仕事を突き詰めて、無敵になるまで突き詰めていきたい。

「オレはですね、革命を起こしたいんですよ。」

これは、今年、一番ブッ飛んでて、変な人が発した言葉です。
前から、なんだか訳わからん奴だな、と思っていたのに、半ば強引に引き合わせの場がやってきて、夜な夜な会って話し込んでみたら、とんでもなくオモシロくて、不気味で、秀逸な人だなと、肌で感じました。

「おれは、業界を変えられて、日本が良くなるためなら、どんなことだってトコトンやりますよ。叩かれたって、そんなの関係ないっす。いつだって、場外乱闘しますから。うわっはっはっは~。(店中に響き渡る低音の笑い声・・・)」

一応、ちゃんとした仕事をしている人です。
これ以上は書けないので、ここで止めておきます。

「人は生まれた時が、最高の人間である。」

人間とは、どんどんと退化していってしまう生き物のようです。
生きていれば、否応なくいろんな経験をしていく。いろんな人と出会っていく。
すると、考え方も変わっていく。感じ方も変わっていく。それは避けられない。
そして、大抵のことは、生まれた瞬間のマックス値から減っていってしまうものなのだ。

だから、挑戦しなくなる。失敗をすることから避けようとする。結局、何もやらず変化を嫌っていく。
このままでいたい。これでよいんだと思うようになる。今の状況を受けいれて諦めていく。
そんな退化を繰り返していってしまいがちである。

死ぬ時に、生まれた時の自分より、1ミリでも上回っていたら、それは最高の人生だ。
死ぬときに、もう一度、この人生を送りたいと思えたら、最高の幸せだ。

まさに、言うは易し。行うは難し。
でも、「難し」といって諦めたら、そこで終わり。

「人は、生きているのではない。人は、生かされているのだ。」

これは、今年、一番、聞くことができた言葉です。
本当にそう思います。すべてのことに感謝するということ。これがすべての根底にある。

温厚な(?)私も、以前は、人に食いかかってばかりでした。
違うと思ったことは、ねじ伏せてでも正しいのはこっちだと言い張りました。
ここぞという勝負事には絶対に勝たなくてはならない。そう言われて育ってきました。
いつの間にか、戦いを好むことが自分であり、どんな戦いでも負けはありえないという変な負けず嫌いでした。

しかし、神に近い存在、神懸っている人って、この世にいるのですね。本当に驚きです。
そんな過去の自分は、一言で言って、次元が低いということでした。

僕は、バブバブ言っている赤ちゃんのようなのです。
好きなことはトコトンやる。でも、興味のないことには全く見向きをしない。
だったら、その好きなことにパワーを捧げればよいのに、実際は、捧げきれていない。
それは体裁や過去に囚われているからだと思います。
良かったことも、悔しい思いをしたことも、成功したことも、失敗したことも、全ては過去の中にあります。

もっと自分に忠実であり、人の多様性に向き合い、平静でないといけない。いや、それを意識することなく、自然とその領域に達しなければならない。
答えは、ひとつではない。そして、誰にも、結果は分からない。
それでも、自分で信じることのできる答えは、自分にとっての唯一解なのです。

「おれは、うれしょんしたい。」

これは、僕が大好きでカッコイイと思う、ひとりの経営者の言葉です。
人には語れないほどのとてつもなく厳しく痛ましい経験をして、本当に死の淵まで行き、その時、死にたくないという気持ちではなく、もう生きたくないと感じたようです。自分の身体の感覚が麻痺し、シモ(排泄物)のほうも自分では制御できない状態になってしまったようです。そうなると、もう生きたいと思わないようです。
そこから、起死回生の復活を遂げ、難題をいくつも乗り越え、仲間たちにも恵まれて、キラキラと輝きながら、人ともぶつかり合いながら、今、ものすごいエネルギーを発揮しています。

「おれの夢はですね、いつか武道館でうれしょんしたいんですよ。
会場いっぱいに、大勢の観客やお世話になった人々に囲まれて、感謝の言葉を発して、
その時、うれしくて、うれしくて、感覚が麻痺してしまって、垂れ流したいんですよ。」

この会話をした時は、酒も入っていました。でも、こんなこと言える人はそうそういません。自分なんて、ちっちぇーな、と思いました。
そして、この方のお話しは、一人でも多くの人に聞いてもらいたいと思っています。そんな場を、来年、スピリタスグループとしてもセッティングしていきたいです。

今年1年で、スピリタスグループの仲間が増えました。みんな個性豊かで、とっても純粋で、とってもいいメンバーです。一緒に飲んで、食べて、騒いで、いろんなことを語っているその空気感が、とてつもなく好きです。そんなことができる存在は、とても貴重な存在です。だから、偉そうなことをのたまってしまいますが、仲間たちの夢を叶える後押しもしていきたい。

これから新しいメンバーも入ってきます。自分も仲間をもっと集めて、仲間を信じて、できないことを成し遂げて、新しい価値を生み出して、みんなで馬鹿笑いと歓声と雄叫びを上げながら喜び合う瞬間を迎えたいです。
そして、その輪の中心で、おれも、うれしょんがしたいです。

さて、例年以上に、ぶっ飛びました。

この他にも海外のことやら、秘密保持契約中のプロジェクトのことやら、いろいろとあるけれど、
上手にまとめると、こんな2017年でした。これらの言葉が、今年を表してくれています。

あと少しで、激動の2018年がやってきます。

おれは、もう覚悟はできています。やることは、明確ですが、未来は、未知と不確実性の塊しかありません。
それでも、来年が、そして、未来が今から楽しみで仕方がないです。

とてつもなく有意義な2017年でした。ありがとうございました。感謝!!

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